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本日朝、記載した”喜寿の祝い”が未編集のまま公開してしまいました。誠にいたらぬ事で申し訳ありません。 ここに改訂版を公開しますのでよろしくご判読下さい。 本日(10月23日)喜寿を迎えた。 昨日、大阪天王寺都ホテルの玄関には「泉尾工高工業化学科S40年卒同窓会」(濱中先生喜寿を祝う会)の看板が掲げられ、いやが上にも嬉しい気持ちになっている。 盛夏の頃、何時も世話をしてくれている熊田俊夫君から打診がありありがたくお受けしてこの日を心待ちにしていた。 払暁の豪雨も明け方には上がり、正午頃には薄日が漏れるほどに天候は回復していたが、南岸に停滞している前線のせいで蒸し暑かった。でも、数年ぶりに教え子達に会う喜びですがすがしいい気分でいる。 同ホテル5階の「竜田の間」の受付で鈴江治、中沢明の両君がにこやかに迎えてくれた。殆どの参会者が席に着いており懐かしい面々とやぁやぁと挨拶しながら指定された席についた。 参会者の殆どは近畿地方に在住しているが、東京からは山本俊司君、横浜市から橘隆造君、名古屋から母里昌宏君、九州久留米市から子守哲夫君、自宅は阪南市にあるが活動拠点の南紀白浜から辻芳彦君らが遠路をおして参加してくれていた。 総勢29名が姿はそれなりの老いを忍ばせながら、昔のままの語り口で46年前の《悪童》に帰っていた。 熊田君の軽妙な司会で始まり、46年ぶりに参加した大沢定君の音頭で乾杯をして和やかな宴が開かれた。 豪華な花束や喜寿記念として硬質ガラス製『クリスタルペン』(京都在住 工芸作家 菅 清風 作)を贈られ、さらに、”奥様と一献”をと新潟の銘酒・越淡麗を頂いた。 感激此処に極まれりである。加齢とともに涙腺が極端に緩んでいるからヤバイと思いながら諸君のご好意に感謝していた。 私のお礼の挨拶は次の通り。 皆さん、今日は。 お元気な顔を拝見して嬉しく思います。 今年は三月から日本列島は大変な事が連続しました。40Aの皆さんに関しては、木下君の深刻な被害があったモノの、人命に関わることが無くホットしていますが、東北、十津川村や南紀州の被災者のことをおもうと浮かれるわけには行きません。今日の濱中節もちょっとトーンダウンしなければならないと思っています。 ”冥利に尽きる”ってフレーズがありますが、これは今日の私のために作られた言葉のよう思います。本当に嬉しく思っています。 皆さん、ありがとう。 私のこれまでの、七十七年の人生をふり返って見ますと苦難の連続、挫折感に苛まれた年月だったように感じられます。 人は嫌なこと、まずかったことなどは忘れると言いますが、それは自分以外の第三者に対してであり、自分に対しては可成り過酷な評価をするモノです。 学校経営に懸命になり、教員間の人間関係に悩み、命にカンナをかけ続けたことなどは、自ら教育界に飛び込んだ私に与えられた試練として、前向きに対処してきましたが、それが何ほどの効果を現したかと自問すると極めて低い評価しか出てきません。 加齢とともにこれらのことがリアルに甦り、完全リタイアーした今、思索の毎日を送る糧になっていて、反省を込めブログに長編小説やエッセーにまとめております。エッセーはともかく、長編小説はフィクションですが、モデルは泉工です。ある人のリクエストに応えて、40Aの何人かは登場させています。 ブログのURLですが、あとでお知らせしましょう。 私は皆さんを教えたことを終生の誇りにしています。これは”リップサービス”ではなく本当にそう思っています。 全国工業工高統一テストで工業物理化学の分野で近畿で1位、全国で8位になったこと、就職戦線では他工高を圧倒したこと、体育祭で頑張ってくれたことなどが思い出されます。 辛口の斉藤先生が”ようやったなぁ”と皆さんを誉めていました。 現役時代、教壇で幾たびも四〇年化学卒業の皆さんを引き合いに出し、叱咤激励しました。 校長になってからは、全校生徒を相手に、自分の直属の後輩を、特定の科を褒めちぎることは気が引けますから、少々押さえてはいましたが、時折、教員から顰蹙を買うほど話題として提供していました。 先月は敬老の日がありました。六五歳以上が敬老に値するそうですから、団塊の世代の皆さんが敬老年代最少年齢に該当するわけですね。こんな優秀な仲間が増えて心強い限りです。 心臓にステント四本、右頸動脈に一本挿入しています。文字通り筋金入りの体です。 お互いに老老の境地になっていますが、元気に老いを過ごしましょう。 本日は誠にありがとうございました。 都ホテルの制限時間がなかったら1晩中昔語りに時を過ごしたと思う。 集合写真撮影後、応援団長だった浜崎博君の指揮で校歌を斉唱し、次いで応援歌”青き団扇”を合唱!”フレー、フレー泉工、フレーフレー濱中!”とエールを送っていただいてまたまた感激一入であった。 高島幸三君の発案で東日本大震災で被災した木下峰雄君にカンパをしようと奉加袋が回されお開きになった。 教え子7名がすでに鬼籍には入っている。平均寿命からすれば随分早い逝去である。痛ましい気持ちがさらに募る。彼らのご冥福を心から祈る。 皆さんに暖かく送られ帰途についたが、そぼ降る時雨もほろ酔いの頬には、むしろ心地よい潤いの天水となっていた。 教員は長生きすることも使命だと思っている。これからも体の軋みに耐えて体調維持を図っていくつもりだ。 大阪市立泉尾工業高等学校工業化学科s40卒の皆さん、有難う! |
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