連載小説ー教師の品格ー第32回(週間)
明けましておめでとうございます。健やかに新年をお迎えのことと存じます。今年もご愛読くださるようお願い申し上げます。
十五 相 談
那須生丈一校長は歴代校長の肖像写真を眺めながら、憂鬱な心境であった。
県教育委員会教育長就任を要請され、今日午後に諾否を教育長に報告しなければならないからだ。
定年まであと三年。教育現場で長かった教員生活を静かに閉じようと思っていた矢先にこの降って湧いたような要請である。
校長会会長としてここ三年間、県教育行政のあり方について数々の提言をしてきた。
ことに団塊の世代の進学に伴う工業高等学校の増設や普通高校の学区再編成、特色ある学校作りのためのカリキュラムの編成、職業資格取得に伴う商工会議所との提携など、画期的な改革案を具体的示し、それらが着実に実施されて来ている手前、断ることは極めて難しい。
H県は教育長人事を行政畑出身者と教育界出身者を三年任期として交互に勤めている。 現教育長は行政出身者で来春、定年退職することになっている。
教育界からは、県立高等学校長会から出ているのが慣例である
一身上の都合とか、健康上の問題で辞退することはできるが、同時に校長職を辞さなければならない事は自明の理である。
「校長先生、付属小学校からお電話です」
那須生校長は現実世界に引き戻された。
H教育大付属小学校から電話を頂くことは今まで無かった。何の用件だろう。
「はい、校長の那須生ですが・・・」
「突然お電話を致しまして申し訳ありません。私、付属小学校の教務主任をしております、オカフジと申します。いま、お時間を頂戴してよろしいでしょうか」
「ハイ結構ですが、教務主任のオカフジ先生・・・」
「左様でございます」
オカフジってどんな漢字を書くのだろう。そんなに多い姓ではないが、片時も忘れたこともなかった岡藤先生と関係するお人なんだろうか。
戦時中、一般市民は窮屈な生活を強いられていた。言論の自由はおろか、私信のやりとりも検閲される始末で、ましてや、勤務先学校名を尋ねようモノなら、特高の厳しい取り調べを覚悟しなければならなかったから、岡藤先生の消息を気にしながらも、音信はお互いに途絶えたままであった。
戦後も落ち着いた昭和二〇年後半に、幾度と無く、島の岡藤先生へお手紙を差し上げたが、その都度、〈宛所に尋ね当たりません〉の付箋がついて返ってきた。その後、不本意ながら先生の消息をつかめぬまま現在に至っている。
オカフジと聞いた以上はなんとしてもお聞きせざるを得ない心境になった。
「大変失礼とは存じますが、オカフジってどのように・・・・」
「ハイ、珍しい姓らしく良くそのように聞かれます。岡山の岡と藤村の藤でございます」
「つかぬ事をお伺いいたしますが、岡藤彦郎先生ってご存じでしょうか」
「あらっ、お義父様をご存じでいらっしゃいますの」
「ええっ、やっぱり・・・・」
「あらっ!そうしますと、那須生先生はハマコウの・・・」
「お義父様からお聞き及びでしたか。奇遇です・・・お義父様はお元気でいらっしゃいますか」
那須生は突然の電話の主が岡藤先生の息子の嫁ときいて、失礼ながらと、懐かしい先生の消息を粗方聞くことができた。
「もっと先生の事を詳しくお話をお聞きしたいと思いますから、お暇なおりにお尋ねいただけたらありがたいと思いますが・・・」
「はいありがとう存じます。先生さえお差し支えなければ、私の方こそ、いろいろとお伺いしとうございます。本日午後でしたら私は都合がいいのでございますが・・・」
「ありがとうございます。本日午後は教育委員会に参りますので、都合が悪いです・・・・予定を見まして、後日ご連絡しましょう。・・・ところで、今日お電話いただいたのは・・・」
「誠に恐縮です。お会いした時にお話しさせていただきたいと存じますが・・・」
「ああ、そうですか・・・では、お急ぎのご用件でなければそうしてください」
「お会いすることを心待ちにいたしております。御免くださいませ」
「はい。失礼いたします」
那須生の心の中を懐かしい香りに包まれた風が通りすぎて行った。あれから激動の四〇年が経ったのかと一入の感慨があった。
校長の認印を必要とする、全校一学期成績一欄表に目を通した。
一年生の成績は抜群である。昨年の同時期と比べてもかなりな差が出ている。入試成績と学業成績は相関関係にあると見ていい。
二年生は少しふるわないみたいだ。概して二年生の一学期はわるいものだ。一年生の一学期は中学校のお浚い的な部分があるが、二年生は専門分野がかなり入って来て難しくなる。一年生の延長とは行かない。
三年生は進路決定が控えて頑張っている。
優秀な者は五月中頃に就職内定をもらっている。
新聞紙上で”青田刈り”と酷評されているが将にその通りで、就職内定者がその後目標を見失う事もしばしば指摘されるところである。
十五 相 談
那須生丈一校長は歴代校長の肖像写真を眺めながら、憂鬱な心境であった。
県教育委員会教育長就任を要請され、今日午後に諾否を教育長に報告しなければならないからだ。
定年まであと三年。教育現場で長かった教員生活を静かに閉じようと思っていた矢先にこの降って湧いたような要請である。
校長会会長としてここ三年間、県教育行政のあり方について数々の提言をしてきた。
ことに団塊の世代の進学に伴う工業高等学校の増設や普通高校の学区再編成、特色ある学校作りのためのカリキュラムの編成、職業資格取得に伴う商工会議所との提携など、画期的な改革案を具体的示し、それらが着実に実施されて来ている手前、断ることは極めて難しい。
H県は教育長人事を行政畑出身者と教育界出身者を三年任期として交互に勤めている。 現教育長は行政出身者で来春、定年退職することになっている。
教育界からは、県立高等学校長会から出ているのが慣例である
一身上の都合とか、健康上の問題で辞退することはできるが、同時に校長職を辞さなければならない事は自明の理である。
「校長先生、付属小学校からお電話です」
那須生校長は現実世界に引き戻された。
H教育大付属小学校から電話を頂くことは今まで無かった。何の用件だろう。
「はい、校長の那須生ですが・・・」
「突然お電話を致しまして申し訳ありません。私、付属小学校の教務主任をしております、オカフジと申します。いま、お時間を頂戴してよろしいでしょうか」
「ハイ結構ですが、教務主任のオカフジ先生・・・」
「左様でございます」
オカフジってどんな漢字を書くのだろう。そんなに多い姓ではないが、片時も忘れたこともなかった岡藤先生と関係するお人なんだろうか。
戦時中、一般市民は窮屈な生活を強いられていた。言論の自由はおろか、私信のやりとりも検閲される始末で、ましてや、勤務先学校名を尋ねようモノなら、特高の厳しい取り調べを覚悟しなければならなかったから、岡藤先生の消息を気にしながらも、音信はお互いに途絶えたままであった。
戦後も落ち着いた昭和二〇年後半に、幾度と無く、島の岡藤先生へお手紙を差し上げたが、その都度、〈宛所に尋ね当たりません〉の付箋がついて返ってきた。その後、不本意ながら先生の消息をつかめぬまま現在に至っている。
オカフジと聞いた以上はなんとしてもお聞きせざるを得ない心境になった。
「大変失礼とは存じますが、オカフジってどのように・・・・」
「ハイ、珍しい姓らしく良くそのように聞かれます。岡山の岡と藤村の藤でございます」
「つかぬ事をお伺いいたしますが、岡藤彦郎先生ってご存じでしょうか」
「あらっ、お義父様をご存じでいらっしゃいますの」
「ええっ、やっぱり・・・・」
「あらっ!そうしますと、那須生先生はハマコウの・・・」
「お義父様からお聞き及びでしたか。奇遇です・・・お義父様はお元気でいらっしゃいますか」
那須生は突然の電話の主が岡藤先生の息子の嫁ときいて、失礼ながらと、懐かしい先生の消息を粗方聞くことができた。
「もっと先生の事を詳しくお話をお聞きしたいと思いますから、お暇なおりにお尋ねいただけたらありがたいと思いますが・・・」
「はいありがとう存じます。先生さえお差し支えなければ、私の方こそ、いろいろとお伺いしとうございます。本日午後でしたら私は都合がいいのでございますが・・・」
「ありがとうございます。本日午後は教育委員会に参りますので、都合が悪いです・・・・予定を見まして、後日ご連絡しましょう。・・・ところで、今日お電話いただいたのは・・・」
「誠に恐縮です。お会いした時にお話しさせていただきたいと存じますが・・・」
「ああ、そうですか・・・では、お急ぎのご用件でなければそうしてください」
「お会いすることを心待ちにいたしております。御免くださいませ」
「はい。失礼いたします」
那須生の心の中を懐かしい香りに包まれた風が通りすぎて行った。あれから激動の四〇年が経ったのかと一入の感慨があった。
校長の認印を必要とする、全校一学期成績一欄表に目を通した。
一年生の成績は抜群である。昨年の同時期と比べてもかなりな差が出ている。入試成績と学業成績は相関関係にあると見ていい。
二年生は少しふるわないみたいだ。概して二年生の一学期はわるいものだ。一年生の一学期は中学校のお浚い的な部分があるが、二年生は専門分野がかなり入って来て難しくなる。一年生の延長とは行かない。
三年生は進路決定が控えて頑張っている。
優秀な者は五月中頃に就職内定をもらっている。
新聞紙上で”青田刈り”と酷評されているが将にその通りで、就職内定者がその後目標を見失う事もしばしば指摘されるところである。
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